日記

ダウン症児の育児。日々の雑感です。

助産院

今日は妻が助産院に通って、哺乳のアドバイスを受けてきた。
これまで直にはほとんど飲めなかったのが、いきなりちゃんと飲めるようになったそうな。
ベテラン助産師さんといろいろメンタル的なこともお話もできて、なかなか有意義だったようだ。
妻のうれしそうな顔をみると、私もほっとする。

とはいえ、未熟な父はついついブラックな気持ちがまだまだ頭をよぎる。
まあ逆に気持ちを押さえ込みすぎるのも、心身ともによくはないだろう。
こういう感情がわきあがるのも自然。というぐらいに認識しておかねば。

そもそも”受け入れる”という言葉も親を苦しめているところがあるような気がする。
あくまで、育児という事実を重ねた結果、いつからか受け入れていた(しかない)というものだろう。
重ねられた事実に、自分の心が適応していった。それが外から見ると”受け入れた”という表現になるのだろうが、あくまでこれは、自分自身の無意識下のもので、ある日突然”受け入れられた”と感じられるものでもあるまい。

ある段階で”受け入れられるようになった”と意識しても、子供の世界が広がるたびに、
親にも経験したことのない世界が広がる。適応していかなければならない事実はどんどん増える。
そのたびに迷い葛藤し、少しづつ適応する。この繰り返しだな。

明後日は、次男坊の診察。両親そろってきてちょうだいとのこと。
まあ親の状態を確認するところもあるんだろう。